スーパーの棚に並ぶ醤油ボトルを手に取ってみると、ラベルのどこかに「本醸造」という文字が刻まれている。これほど身近な言葉でありながら、その意味を正確に答えられる人は驚くほど少ない。
「なんとなく、手づくりに近い本格的なもの?」「添加物がないってこと?」──そんな漠然としたイメージで終わっている人も多いだろう。しかし醤油の「本醸造」には、農林水産省が定めるJAS規格(日本農林規格)による厳密な定義が存在し、醤油づくりに携わる職人にとっては製造工程の根幹をなす重要な概念だ。
明日8月5日は「発酵の日」。日本の発酵文化の象徴ともいえる醤油を深く知るのに、これ以上ない機会である。千葉県銚子の老舗から長野の山間の小蔵まで、今日も全国の蔵元が「本醸造」の看板のもと、諸味をかき混ぜ、熟成の時を重ねている。
この記事では、本醸造とは何か、他の2つの製造方式とどう違うのか、そして醤油業界でキャリアを積もうとしている方が知っておくべき実践的な知識を、醸造現場の視点から徹底的に解説していく。
醤油の「本醸造」とは?JAS規格が定める3つの製造方式

JAS規格における醤油の定義
醤油のJAS規格(日本農林規格)は農林水産省が告示する品質基準で、製品のラベル表示義務と品質要件を定めている。2004年改正以降、醤油の製造方式は以下の3種類に区分されている。
| 製造方式 | 概要 | ラベル表示 |
|---|---|---|
| 本醸造方式 | 原料を発酵・熟成させた、正統な醸造法 | 「本醸造」 |
| 混合醸造方式 | 諸味にアミノ酸液等を加えて熟成 | 「混合醸造」 |
| 混合方式 | 醤油にアミノ酸液等を混合(醸造なし) | 「混合」 |
この区分はJAS規格の「しょうゆ」基準(JAS 0002)で定められており、一般消費者が製品を選ぶ際の判断基準となるだけでなく、醤油製造に関わる職人や技術者が自らの仕事の位置づけを理解するうえでも不可欠な知識だ。
本醸造方式の正式な定義
JAS規格における本醸造方式の定義は以下のとおりである。
「大豆(脱脂加工大豆を含む)、小麦及び食塩を原材料として使用し、麹菌を用いて製造した麹を主体として発酵させ、熟成させたもの(アミノ酸液等を加えていないもの)」
つまり本醸造の本質は、「アミノ酸液(加水分解アミノ酸)を外部から加えない」という点にある。大豆タンパク質が麹菌の酵素によって分解され、アミノ酸(グルタミン酸など)が生成される——この微生物の働きのみで旨みを作り出すのが本醸造の核心だ。
本醸造方式の製造プロセス——長期熟成が生む醤油本来の旨み

本醸造は主に以下の工程を経る。醤油業界に入ろうとしている方は、この流れを大まかに把握しておくことが第一歩となる。
1. 原料処理
大豆と小麦が主な原料だ。大豆は蒸煮(じょうしゃ)によりタンパク質を変性させ、麹菌が作用しやすい状態にする。小麦は炒り麦(焙炒)にしてから砕き、炭水化物(デンプン)を麹菌が分解しやすいよう加工する。
原料の比率は蔵元によって異なるが、こいくち醤油(濃口醤油)では大豆と小麦をほぼ等量使用するのが一般的だ。大豆が多ければ旨みが濃くなり、小麦が多ければ甘みとアルコール発酵が促される。
2. 製麹(せいきく)——最初の72時間が命
蒸した大豆と砕いた小麦を混ぜ合わせ、「種麹(たねこうじ)」と呼ばれるアスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae)またはアスペルギルス・オリゼー(Aspergillus oryzae)を接種する。
約40〜48時間かけて品温管理をしながら麹を育てる。この製麹工程で生成されるプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)とアミラーゼ(デンプン分解酵素)の量と質が、最終製品の風味を大きく左右する。蔵人にとって製麹は技術と経験が問われる最重要工程のひとつだ。
3. 仕込み・諸味(もろみ)づくり
完成した麹に食塩水を加えて「諸味(もろみ)」を仕込む。食塩濃度は通常17〜19%で、この高塩分環境が雑菌の増殖を抑えつつ、乳酸菌や酵母だけを選択的に活かす。
仕込みは「天然醸造」と「速醸」に大別される。天然醸造では自然の温度変化のなかで発酵させ、最短でも1年、長いものでは3年以上熟成させる。速醸では加温管理により数ヶ月に短縮できるが、風味の深さに差が出るとされる。
4. 圧搾・火入れ・製品化
熟成した諸味を布でくるみ、圧搾して液体(「生醤油」または「きあげ醤油」)を搾り出す。その後80℃前後で加熱処理(火入れ)を行い、酵素の失活と殺菌、色・香りの調整を行って製品となる。
本醸造で生まれるグルタミン酸の量
大豆タンパク質の約20〜30%がグルタミン酸(Glu)で構成されており、本醸造の熟成過程でこれが遊離アミノ酸として放出される。この遊離グルタミン酸がいわゆる「旨み」の主体だ。JAS規格では、本醸造こいくち醤油の全窒素分(TN)は等級によって基準値が定められており(標準等級で1.2g/100mL以上)、アミノ態窒素の比率が高いほど旨みが豊かな醤油とされる。
3つの製造方式を比較する——本醸造・混合醸造・混合

JAS規格の3方式をより詳しく比較すると、次のようになる。
| 項目 | 本醸造 | 混合醸造 | 混合 |
|---|---|---|---|
| アミノ酸液の使用 | なし | 諸味に加える | 完成醤油に混合 |
| 発酵・熟成工程 | あり | あり | なし(混合のみ) |
| 製造期間 | 6ヶ月〜数年 | 数ヶ月〜1年 | 数日〜数週間 |
| 旨みの由来 | 微生物が生成するアミノ酸 | 微生物 + 外部添加 | 主に外部添加 |
| 風味の特徴 | 複雑で奥深い | バランス型 | スッキリした旨み |
| 製造コスト | 高い(時間・手間がかかる) | 中程度 | 低い |
混合醸造方式とは
本醸造の諸味(仕込み後の発酵途中)にアミノ酸液等(大豆等の植物性タンパク質を塩酸や酵素で分解した調味液)を加え、そのままさらに熟成させる方式。アミノ酸液等を「外から足す」という点が本醸造との根本的な違いだ。
アミノ酸液の添加により、発酵開始から短期間で高い全窒素分を得ることができ、製造コストを下げながらも醸造工程を経ることで一定の風味を確保できる。
混合方式とは
本醸造または混合醸造によって完成した醤油に、別途製造したアミノ酸液やスイートコーン糖液、みりんなどを混合する方式。厳密には「醸造」工程を経ていないため、JAS規格では「混合」と表示される。大量生産・低価格帯の醤油に多い。
消費者の立場からすれば「本醸造」「混合醸造」「混合」のうちどれが良いかは使用目的次第だが、醤油蔵で職人として働くことを目指す人にとっては、こうした区分の背景にある製造哲学を理解しておくことが重要だ。
国内シェアの実態
日本醤油協会のデータによると、国内で生産される醤油のうち、本醸造方式の割合は大手・中小合わせておよそ8割超を占めるとされる。混合醸造・混合方式は主に業務用・外食産業向けの低価格帯醤油に多く、家庭用市場では本醸造が圧倒的主流だ。
ラベルで見分ける製造方式——消費者と職人の視点から

ラベルの読み方
JAS規格では、醤油のラベルに製造方式を必ず表示することが義務付けられている。見るべき箇所は「名称」または「品名」欄だ。
- 「こいくちしょうゆ(本醸造)」→ 本醸造方式
- 「こいくちしょうゆ(混合醸造)」→ 混合醸造方式
- 「こいくちしょうゆ(混合)」→ 混合方式
- 「こいくちしょうゆ」だけで括弧書きがない → 本醸造方式(2004年以降、括弧書きなしは本醸造と見なす)
また、より品質基準の高い「特選」「超特選」といった呼称は日本農林規格の等級制度に基づいており、全窒素分の濃度によって階層化されている。「特選本醸造」はただのマーケティング用語ではなく、JAS等級の裏付けがある表示なのだ。
「天然醸造」との違い
「本醸造」と「天然醸造」は混同されやすいが、別の概念だ。
天然醸造(自然醸造)は醸造方法を指す言葉であり、JAS規格上の区分ではない。蔵元が自主的に使う表示で、「加温設備を使わず、自然の気温で発酵・熟成させた」という意味合いで用いられることが多い。本醸造方式の中で、さらに天然醸造を実践しているものが「天然醸造本醸造」となる。
「丸大豆醤油」との関係
原料表示に「丸大豆」と記された醤油は、脱脂加工大豆ではなく丸ごとの大豆を使用している。脂肪分が残ることでまろやかな旨みと独特の香りが生まれる。丸大豆醤油は基本的に本醸造方式で作られることが多いが、丸大豆=本醸造というわけではない。製造方式(本醸造か否か)と原料(丸大豆か脱脂大豆か)は別の軸で評価する必要がある。
醤油の本醸造を支える蔵元文化と職人の世界
120年蔵が守り続けてきたもの
明日8月5日の「発酵の日」に際して、峰村醸造(長野県)が120年続く味噌蔵の技術を活かしたフリーズドライ味噌汁を発表した(PR TIMES、2026年8月3日)。醤油においても同様に、創業100年を超える蔵元が各地で今日も本醸造を守り続けている。
例えば千葉県銚子・野田地域の醤油蔵、長野・醸造王国の小蔵、愛知・碧南の白醤油蔵、そして小豆島の木桶仕込みの蔵——いずれも本醸造方式を根幹に置き、地域の気候・水質・原料と折り合いながら固有の風味を育んできた。
こうした蔵元の多くでは、蔵人(くらびと)が諸味の状態を毎日観察・管理する。計器のデータだけでなく、色・においだれ・粘性・泡の立ち方といった経験的なサインを読む力が、本醸造の品質を左右する。
木桶仕込みの復活と本醸造
日本の醤油業界で近年注目を集めているのが「木桶仕込み」の復活だ。ステンレスタンクに比べ衛生管理が難しく生産性も低いため、一時はほとんど姿を消したが、各蔵に棲みつく固有の微生物群(テロワール)が生む独特の風味が再評価され、木桶で仕込む本醸造醤油は高付加価値商品として注目されている。
「醤油 歴史」の記事でも触れたように(醤油の歴史を深掘り)、覚心が1254年に紀州湯浅でもたらした製法は、本醸造の原型ともいえる天然発酵の思想を宿している。その思想が700年以上を経た現代にも息づいていることは、発酵文化の底力を感じさせる。
国内醤油産業の規模
日本の醤油産業は決して小さくない。日本醤油協会によると、2023年の醤油の全国出荷数量は6億8,334万リットル(約68万kL)。また経済構造実態調査(2022年、e-Stat )によると、しょうゆの出荷金額は約1,455億円(145,540百万円)に上る。こいくち醤油が約8割強のシェアを占め、うすくち・たまり・再仕込み・白醤油がそれに続く。
醤油を軸に醸造業界全体を見渡せば、日本全国に数百の醤油蔵が存在し、小規模蔵から大手醸造メーカーまで幅広い就業機会が存在する。本醸造の知識はこうした業界に入る際の「共通言語」となる。
醤油業界でキャリアを積むなら「本醸造」を深く理解しよう
なぜ本醸造の知識が醸造キャリアに直結するのか
醤油蔵・醤油メーカーに就職・転職を考えている方にとって、「本醸造とは何か」を正確に説明できることは、最低限の素養だ。面接や現場研修の初日に確実に問われる内容であり、ここで詰まると「業界への関心が薄い」という印象を与えてしまう。
逆に言えば、JAS規格の3製造方式を整理したうえで「本醸造方式の長期発酵が生む旨みの化学的背景」まで理解していれば、醸造に関わる職場での第一歩は格段にスムーズになる。
就職・転職で役立つ醤油業界の基礎知識チェックリスト
醤油業界への就職・転職を目指す方は、以下の知識を押さえておこう。
| 知識カテゴリ | 確認すべきポイント |
|---|---|
| JAS規格 | 3製造方式の定義、等級(特選/上/標準)の基準 |
| 製造工程 | 製麹→仕込み→発酵・熟成→圧搾→火入れの流れ |
| 醤油の種類 | こいくち・うすくち・たまり・再仕込み・白醤油の特徴 |
| 原料知識 | 大豆(丸・脱脂)と小麦の役割、食塩の機能 |
| 発酵微生物 | 麹菌・乳酸菌・酵母の役割と働き |
| 産地・蔵元 | 主要産地(千葉/兵庫/愛知/香川等)と代表蔵 |
醤油製造の全工程を詳しく解説した記事も合わせて確認しておくと、面接準備が一層充実する。
醤油業界で働く際の職種と本醸造の関わり
醤油メーカー・蔵元で働く職種によって、本醸造の知識の使われ方は異なる。
製造現場(蔵人・技術者)では、諸味の管理・製麹の温湿度調整・品質検査など、本醸造の各工程を直接担う。品質管理・研究開発では、JAS規格の理解が品質保証や新製品開発の基礎となる。営業・広報・マーケティングでは、「なぜ本醸造なのか」を消費者に丁寧に説明するストーリーテリングが求められる。
どの職種に就くにしても、本醸造の概念は醤油業界における「文化の核心」に触れるものだ。
醤油メーカーへの就職・年収事情については、こちらの記事で詳しく解説している。また醸造業界全般のキャリアパスを知りたい方は醸造 就職・求人ガイドを参照してほしい。
FAQ:本醸造に関するよくある質問
Q1. 本醸造と混合醸造の味の違いは実感できますか?
A. 利き醤油をすると多くの人に違いが分かります。本醸造は複雑な香りと奥行きのある旨みが特徴で、混合醸造はよりストレートな旨みがあります。ただし商品によって差は大きく、「本醸造=必ず美味しい」というわけではありません。使用目的(刺身用・加熱用・卓上用)に合わせて選ぶことが大切です。
Q2. ラベルに「本醸造」と書かれていなくてもJAS認定品であれば本醸造ですか?
A. 2004年のJAS規格改定以降、製造方式の括弧書きがない場合は本醸造方式であることを示す運用になっています。ただし「こいくちしょうゆ」だけの表示の場合は本醸造を意味するケースがほとんどですが、JAS非認定品(JASマークなし)では確認できません。確実に知りたい場合はJASマークの有無とラベルの製造方式表示を合わせて確認してください。
Q3. 「無添加」「天然醸造」と「本醸造」はどう違うのですか?
A. 「本醸造」はJAS規格上の製造方式区分です。「天然醸造(自然醸造)」は加温管理をせず自然の温度で発酵・熟成させたことを示す蔵元独自の表示(JAS規格外)です。「無添加」は食品添加物(保存料・着色料等)を使用していないことを示します。これらは互いに排他的ではなく、「天然醸造・無添加・本醸造」を同時に満たす醤油も存在します。
Q4. 醤油蔵で働くために本醸造の知識はどこで学べますか?
A. 醸造学が学べる大学・専門学校(東京農業大学・秋田県立大学・醸造試験所等)が第一の選択肢です。また、農林水産省公開のJAS規格テキスト、日本醤油協会の刊行物、全国醤油工業協同組合連合会の技術資料なども参考になります。醸造系の大学・学部については詳しい解説記事を参照してください。
Q5. 本醸造醤油の保存方法は普通の醤油と変わりますか?
A. 基本は同じです。開封後は冷蔵保存が望ましく、開封後1〜2ヶ月以内の使用を目安とします。本醸造は製造工程中に保存料を使用していない場合が多く、開封後の酸化(色・香りの変化)には特に注意が必要です。遮光性の容器を選ぶか、小分けで使いやすい密封ボトル商品を活用するのが賢明です。
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まとめ:「本醸造」を知ることは、発酵文化の根を知ること
醤油の「本醸造」とは、JAS規格が定める3つの製造方式のうち、麹菌・乳酸菌・酵母の働きだけで旨みを生み出す正統な醸造方法だ。大豆のタンパク質を微生物が長い時間をかけてアミノ酸に分解する——この一見シンプルなプロセスの中に、日本の発酵文化の奥深さが宿っている。
3つの製造方式(本醸造・混合醸造・混合)の違いを理解することは、醤油ラベルを正確に読む力になると同時に、醤油業界でキャリアを積む際の基礎教養ともなる。
「なぜ蔵元は今日も時間と手間をかけて本醸造を守るのか」——その問いへの答えを探しながら醤油の世界を歩んでいくことが、醸造の仕事に就く第一歩となるはずだ。
醤油の種類についてさらに詳しく知りたい方は、醤油の種類と違い——こいくち・うすくち・たまり・再仕込み・白醤油を比較も合わせてご覧いただきたい。
参考情報
- 農林水産省「醤油 日本農林規格(JAS規格)」(告示 平成16年農林水産省告示第1703号)
- 日本醤油協会「しょうゆ情報センター 統計資料」(2023年実績:年間出荷数量6億8,334万リットル)
- 経済構造実態調査(2022年)「しょうゆ出荷金額」— e-Stat (出荷金額145,540百万円)
- PR TIMES「8月5日『発酵の日』に考える、未来へつなぐ味噌文化」2026年8月3日(峰村醸造・創業120年)
- 農林水産省「しょうゆの種類と特徴」食品安全・品質確保のページ


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